ブラウン管式のディスプレイの暗い画面を覗き込むと,あまり鮮明ではないが自分の顔をが映っていてこちらを見つめているのがわかります。画面上の文字に集中して見ていると映っている顔が暗い背景に溶け込むように沈んで行き,終いには完全に消えてしまい驚かされることがあります。
これは私自身20年以上前からずっと1日に何時間もコンピュータと向かい合ってきたのに比較的最近まで気が付かなかった現象です。いつも映っているはずの自分の顔がフェードアウトするように消えていく様子に非常に驚くと同時に見ることの深遠さを感じたのを今でも覚えています。
この現象は次のようにして見ることができます。まず,ディスプレイの画面を暗い状態にして自分の顔がそこに映っていることを確認してください。その際,鏡のようにはっきり映るものは避けて薄ぼんやりと見えるものを選んでください。そのほうが容易に結果が出ます。次に,映っている顔の範囲で画面上の小さなもの,例えば付着している小さな埃の一つ選びそれを注視します。奥に映っている顔は絶対に見ないで,画面上の一点の埃のみに集中して見ることが重要です。すると,数秒後に顔の像が薄らぎ始め,さらに数秒後には跡形もなく消え去ります。視線や焦点はつい背景の顔に合わせがちですが,目をそこにやった瞬間,奥に映る顔は復活してまた一からやり直しになります。もちろん瞬きをしても元の状態に戻ってしまいます。この現象は,窓ガラスを通してみる夜景でも,薄暗い部屋の鏡でも同じように見ることができます。
この現象は,目の隅にしろ焦点が合っていない部分にしろいつでもきっちり掌握しているはずの日常の経験とは大きくかけ離れた感じがすると思います。また,空間現象ではないのにこれを亜空間の現象として扱うことに疑問を持たれるかもしれませんが,目でとらえることと意識することとの隔たりを示す例として適切な現象だと思っています。亜空間の多くは意識が取らえそこなった現象を扱いますが,ブラウン管の現象はそれらとは逆で,意識がとらえているはずの世界が虚構であることを示しています。
目の網膜の一部にある盲点はそこに像を結ばないので,盲点の実験ではみごとにマークなどが消えます。しかし,普段の生活の中で欠けた像を見ることがないことからもわかるように,私たちは整合性のある世界を作ってそれを見たとおりのものとして過ごしているのではないでしょうか。